どーも、AKです。

先日、知人と話をしていて思ったことです。
知人はやや否定的な言動がありましたが、
私は指摘しませんでした。

なぜなら自分に不利益になるほどの事ではなかったので。
いい大人ですし、
身内なら遠慮せずに突っ込んでたと思いますが、
言えませんでした。


・意見
つまり、
「いい大人に、注意してくれる人などいない」
ってこと。

実際、正直、
注意はしたくありませんでした。
注意するにしても、結構な労力です。
まかり間違えば議論やケンカになるかもしれないから。
余裕しゃくしゃくならまだしも、
今の自分は、
議論もしたくないですし…

何度か述べている、
名著「嫌われる勇気」で言う所の、
「仮題の分離」。
この課題は、自分の課題か、相手の課題か…
否定的言動は相手の課題。
だから、
踏み込まなければ、問題なくことが進みます。


それに、
注意してくれる人があるとしたら、
それは大抵お金が発生する契約的な仕事。
占いや、コンサルタント、あるいは宗教、
などではないでしょうか?


・まとめ、主張
もし対人関係で距離を感じるようになった、
そんな事がある人は、
今一度自分が否定的な態度をとっていないか
考えてみてはいかがでしょうか?

子供時代と違って、
仕事以外での人間関係はデリケートで、
「薄氷を履むが如し」、な気がします。

「いい大人に、注意してくれる人などいない」
のですから。
・・・


・主張2
まぁ、
ここまで話しておいて、
自分にも過去、
お節介好きとか、放っておけない、という面があり、
余計なお世話とか、アドバイスとかしたことあります。
しかし、
割と世間というのはヒンヤリしてんだな…と思ったり、
実績も得られないのに、
損な事ばっかりだなとか、
あんまりナイーブなことも言ってられないかな、
とか思うようになり、
少々、ビジネスライクでドライになってきました。

なんだかちょっと哀しい話になりましたが、
暗くてジメジメしたのは好きではありません。
何しろ本来、自分が求めているのは、
安心感であったり、
つまらない損得抜きに、
心からコミュニケーションを楽しみたいという欲求。

「いい大人に、注意してくれる人などいない」のかもしれませんが、
そうでない場合もあるかもしれない。
相手の課題にお構いなしにコミュニケーションがとれることも、
場合によってはあるかもしれない。
が、その話はまた別の機会にでも。
よって今のところ結論は、
コミュニケーションは相手に臨機応変に応じていく対機説法がモアベター 
とします。


0303個人の時代到来a402
お釈迦さまですな…
(グラフィック制作はコチラ→AK GRAPHICS


それでは(^O^)/