どーもです。
今回は抽象的な話。
まだ今の段階では抽象的にしか語れない内容です。
「それでもいいよ」とか、
ご了承いただける方だけお読みください。
(あるいは宗教も関係してくるかもしれないので、大丈夫な方のみ。)
最近、
書籍やネットからの情報を通じて、
社会をより良くするためには?
とか世界に思考を巡らすことが多いです。
●意見
真偽の判別が難しい情報も多いです。
ときには、まさか?!
とか、
ウソだろ!
というような情報もあります。
そんな中、とある概念の話。
宗教や人の教えによっては、
宗教や人の教えによっては、
一方は「○○はある」と言っていたり、
もう一方は「○○は無い」と言っていたりします。
思ったのは、
本当は「ある」けど、
そうすると人類にとっていい影響がほとんどない。
「ない」としておいても差し支えない程度なら、
「ない」と言ってしまうこともあるのかもしれない。
「ない」と言ってしまうこともあるのかもしれない。
ウソをつくこともあるのかもしれない。
…なんてこともあるのかと思います。
いわば、
良心からのウソ、というのがあるのではないか?
と。
とくに影響力の強い歴史的な人物なら、
みんなが耳を傾けるからなおさらあり得るのではないかと。
例えば身近な例では、自分が子どもの頃の両親の話ですが、
あれは嘘だったのかもな?…ということもあります。
詳細は避けますが、「これ以上深追いはしない方がいい」という意図から。
悪気で無くて、良心からウソをつかれたかもしれないな…と。
こういう話は誰しも身近にありそうではないでしょうか?
そのもっと規模の大きいバージョンとして、
人類全体の平和のためとか、益をもたらす意味での、
良心からのウソ、というのがあるのではないか?
と。
●まとめ
世界的な影響力のあった人々の中にも、
良心からのウソ、というのがあるのかもしれません。
そして、
今まで知られていなかった真実が明らかになるときも近いのではないか?
今まで知られていなかった真実が明らかになるときも近いのではないか?
と、情報収集をしていると思うフシがあります。
もちろん、
反知性主義的とみられる場合もありますから、
あくまで冷静さが必要。
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反知性主義とは、
「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、
自分が欲するように世界を理解する態度」
(佐藤優)
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上記で述べたような良心からのウソ、も含みますが、
仮に、
信じられないような話の数々が真実だとして我々はどうあるべきか?
というのが考えるべき次のステップ。
信じられないような話の数々が真実だとして我々はどうあるべきか?
というのが考えるべき次のステップ。
想像に過ぎないですが、
とりあえず、
どんな世界で在ろうと、
とりあえず、
どんな世界で在ろうと、
社会性を失わない事。
何か世界に働きかけていく必要があったとしても、
あくまで民主的であることが大切ではないかと思います。
まずはそれを言っておきたかったので…
まずはそれを言っておきたかったので…
では(^O^)/