どーもAKです。
哲学が面白いと思い、様々な本を読んでいます。
といっても原書でなく入門書を読んでいます。
哲学者の発案したコンセプト、
その再現性、汎用性、鋭さを見て、
早速使っていった方がいいと思いました。
ということで、
学びながらアウトプットするとか、
哲学を通して個人的に関わり合った身近なことを主張をしてみる、
といったシリーズを始めました。
私的な哲学コレクションですが、
何かの役に立てたら幸いです。

シリーズ哲学、
今回のテーマは、「悪の陳腐さ」。または「悪の凡庸さ」
そしてそれにまつわる自分の主張です
では以下より述べます。

●前提、事実
・アドルフ・アイヒマン
それは以下のような人物です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
・ナチス政権下のドイツの将校。
・「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、
 数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。
・1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて
 裁判にかけられ、
同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、
 翌年5月に絞首刑に処された。
(ウィキペディア)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

・ハンナ・アーレント
ドイツの哲学者である彼女は
アイヒマン裁判を傍聴し、
「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」
を著しました。

ちなみにそのプロセスはとして、映画「ハンナ・アーレント」にもなってます。
私も鑑賞しました。
予告編にもあるとおり、ハンナ・アーレントいわく…
「本当の悪は平凡な人間が行う悪です」
「これを「悪の凡庸さ」と名付けました」

●意見、主張
さて、
事実に続いて自分の意見。

まず映画ハンナ・アーレントの感想。
これは1年前くらいに見たのですが、
過去のメモを見ると、
私はこう述べました。
「組織の論理で、
 思考を止めたとき、隠れた重要な事実に気づけなくなるのではないか?
 と思った!正直、似た経験はある」

似た経験、というのは散々ブログでも述べている通り、
新潟市、主に教育委員会の職員のこと。
ブログ記事は以前から述べており、
例えば前知事に対しての意見や、別ページでも表明。
なので、
映画ですが、
ハンナ・アーレントのように意見を表明する人の姿に共感するのです。

新潟市、
特に教育委員会の職員の多くは、
無批判に組織の論理にしたがっていて、
改善したり市民に貢献する事よりも、
組織の中でどう上手くやっていくか、
という自分の利益にしか関心が無いように見えます。
リンク先記事にも述べている通りで、
一つ例を挙げるなら、
これが、教員による児童差別、不登校へとつながっているとしか思えないのです。
悪事と言うのは、
極悪人が行っているのではなく、
ごく普通の人が平然と行っている・・・という構図が浮かんできます。
新潟市における悪の陳腐さ、悪の凡庸さ、
と言えるのではないでしょうか。
さらには、問題点を見過ごす職員に対して、
「小役人よ、お前はもうアイヒマンだ!」
……と、言うのは言い過ぎだろうか。
にしても、
無批判の積み重ねが、

やがて平凡な人を悪人に仕上げていくような、
とんでもないことに至る伏線となる
のではないでしょうか?

●まとめ
自分の意見や主張はあくまで一例としますが、
このように
哲学という思考ツールがあれば、
社会問題を見つけたりしたり、
言語化しやすくなると思いました。
人生100年、200年時代、
気長に哲学を学んでみるのも一興ではないでしょうか。
以上。



●参考書籍
武器になる哲学/山口周

●参考記事
9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ (東洋経済オンライン)
●その後の筆者のつぶやき



それでは、ごきげんよう(^O^)/